Grizabella

セレンディピティを求めて

本が読めなかった。

本が読めませんでした。

「年間200冊読むぞ!」カテゴリーで、何書いてるんだって感じですけど……

過去形なので、安心?してください。

 

寒さが心身に影響を与えているのか。

年末に行ったsyrup16gのライブが忘れられなくて、彼らの曲ばかり聴いているから引きずられているのか。……でも、暗い曲ばかりじゃないし、そういう曲を選んで聴いているわけでもない。

それとも、脳のサイクルがあるのか。

 

とにかく、本が読めなかった。

3週間くらい? 記憶が曖昧。

その間に、映画観に行ったり、カラオケ行ったり、そのことをブログに書いたりしている。それら一つ一つは確かに覚えているのに、全体的には漠然とした印象。

ブログを定期的に更新できている時でさえ、脳ミソが活性化しているとは限らないのだから、書けるときはなるべく書いておこうと思う。

(紙の)日記だと、捨ててしまう可能性があるけれど、ブログなら消したりしないだろうから。……実は、比較的最近、ブログを辞めたい衝動に駆られたのだけれど。

 

何か、理由があったわけではない。忙しくても、かなりの量読むときもあるし。

でも、読書のペースが落ちている自覚はあって、焦っていた。いつ、「2日に1冊読めば良い状態」から、「1日1冊読まなければいけない状態」になるのだろうと、ヒヤヒヤしていた。実際には、そんなにすぐには来ないのだけれど。

 

言い訳のように、本を持ち歩いて、全く読まずに帰る日が続いた。

そして、ついに、本を手に取ることすら、しなくなった。

 

読書について

アメトーーク「読書芸人」の回で、印象に残っているシーンがある。「読書する人はすごい」と言う宮迫に対して、若林が「読書しないで済むのなら、そっちの方が良い」と発言し、他の出演者も頷いていた。私は、若林の「ご本、出しときますね?」という番組が大好きで、この番組でも、同様の発言をしていたのを思い出した。

 

私にとって、本を読むことは、すごいことでもなんでもなくて、当たり前のこと。ネット見たり、音楽聴いたり、映画観たりするのと同じ。娯楽の一つ。どんなジャンルの本でもね。さすがに、教科書や参考書、レポートのために読んだ本は違うけれど。

本好きの中には、「他になかったから」という理由で、読書を選ばざるをえなかった人々がいて、私もその一人。スポーツしたり、観戦したり、ライブで盛り上がったり、友達と騒いだり……その代替としての読書。

「読書」が趣味ではないと言われたり、ネガティヴに捉えられがちだったりするのも、世の中・読書家双方の、こういった見方のせいだ。

 

今の私には、さまざまな手段がある。

仕事で金銭面と社会的立場・欲求は満たしていて、音楽聴いてライブに行って、映画観て、ブログに書きたいこと書いて、創作活動でアウトプットして、傍から見れば酷いレベルかもしれないけど周囲とのコミュニケーションがあって。

だから、読書でなくてもいいのかもしれない。

けれど、長年、私にとって、「読書」とは、社会と繋がる手段であった。それを、できない時期と言うのは、やはり、社会を拒否していたのかもしれない。

 

読書は、エネルギーを要する。エンターテイメントな内容であっても、文字を追い、内容を理解する気力と集中力が必要な、能動的な活動だ。テレビのようにぼーっと観ていても内容が入ってくるわけではないし、ネットのように刺激的な表現が多いわけでもない。

以前なら、読書をしていた時間、syrup16gを聴いていた。前にも書いたが、音楽は聴こうとせずとも、ただ流しているだけで、味わうことができる。それが良さであり、救いでもある。

最近、少し疲れていたのかもしれない。

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