Grizabella

セレンディピティを求めて

雑談の目的を勘違いしていた件

最近、自分は雑談の目的を勘違いしているのではないかという考えがふと浮かんだ。

 

「雑談」といっても、休み時間に友人としたり、食事中にしたりする長いものではなく、挨拶し合った後に、二、三言交わすもののことだ。

 

私のこれまでの「雑談」への考え方・対応のしかた

  • 相手に私と「話したい」という気持ちがある
  • 相手にかなりの時間の余裕がある
  • 返事をするまで間が空いてしまう(特に作業をしながらだと)
  • 会話が続くような返事ができない
  • 自分から話しかけることはほとんどない

 

一般的な人の「雑談」への考え方・対応のしかた

コミュ障である私の想像なので、間違っている可能性があります。

  • 相手と「話したい」という気持ちはあるが、強いとは限らない
  • あまり時間に余裕がなくても、急いでいなければ話しかけることもある。キリの良いところで会話を切り上げる
  • 話しかけられたら、すぐに応える。作業しながらでも良い(失礼でない程度に)
  • 会話が続きやすい返事が望ましい
  • 時々は自分から話しかけた方が良い(ただしタイミングを見極めて)

 

つまり、一般的な人は「雑談」を挨拶の延長と捉えている。

そう考えると、私は「挨拶は返してくれるが、声が小さかったり、元気がなかったりする人」と同じくらい、マナーに欠ける人間なのかもしれない。

周囲にお喋り好きな人が多いのだと思っていたのだから、ノー天気なものである。

過去数えきれないほどの失態を犯してきた。しかし、「もう大きな間違いはしていないだろう。自分もやっと落ち着いてきた」と思った矢先にコレである。

 

  • 人が集まる場所では、いつ話しかけられても良いように準備ができている
  • 話しかけられたら、愛想良く、すばやく返事をする
  • くだけ過ぎず、でもかしこまり過ぎるのも良くない
  • 返事はできれば、会話が続きやすいもの
  • 失礼なこと、長くなりそうな話はしない
  • 「はい」「そうですね」などの多用はあまり良くない
  • これらを自然にできる(緊張や不快な気持ちを見せない)
  • これらを基本的に自然に身に付けている

 

「普通」の人は、これらのことが当たり前にできているのだろうか。

これが当たり前にできない私は、「普通」ではないのだろうか。

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